プロフィール

初めまして、当メディア編集長のたっつん(@papasun_rt)こと玉置亮達(たまおきりょうたつ)です。
1983年12月11日生まれのいのしし年、射手座の34歳。

妻と2歳半の息子がいます。

おかげさまで、こんな感じに毎日楽しく過ごしています!笑

さてこんな僕に興味を持っていただいたあなたに自己紹介をしたいと思います。

>>『たっつん式ピタゴラ志事術』というメルマガ始めました

 

 

地味な人生を歩むと思っていた

幼少期から小学生時代、とりわけ特筆すべきスキルもなく人並みだった。夢も人並み。
中学生に入っても、変わらず人並みの人生を歩んでいた。

その時は何も考えず、自分も周りと同じように地味な人生を歩むと思ってた。

高校に入っても、一瞬だけテニス部に所属したものの3か月で辞め、その後帰宅部に。
3年生になるまではごく普通の地味な高校生だった。

しかし3年生になり地味で普通の人生に対して謎の反発を始める。
そして、なんと「変わりたい!」という気持ちだけでバンドを始めたのだった。

パートはドラム。

ドラゴンアッシュとかナンバーガール、レッチリのコピーをやっていた。

 

大学で地獄のような部活に入部

高校で始めたバンドをそのまま大学に入っても続けていた。

そこである突飛な行動に出た。

バスドラムといって、足を使うドラムのキック力を高めるために、なぜか山岳部に入部。
なぞの動機で始めた山登りは予想以上にキツく、自分の愚かさを恥じる。

極めつけは1年生の夏に行った夏合宿。

北アルプスの常念岳から入山し、剱岳に上り、剱沢で雪上訓練し、立山をめぐり、槍ヶ岳を登ってから槍沢から下山するというトータル19日間の縦走コース。

そしてその合宿で悲劇が起きる。
ひ弱な見た目からか1つ上の上級生から目を付けられてしまったのだ。

合宿の終盤は罵声を浴びせられ、挙句の果ては小突かれ、どつかれ、蹴られるなどと過激になっていった。

「もうこんな部活辞めてやる!!」

100回はそう思っただろう。

本当に過酷できつかった。
ぬるま湯で生きてきた自分には耐えがたい世界だった。

限界だった。

ところが、一瞬で心が変わってしまう感動がそこにはあった。

辛い辛い山道を登り切るとそこには「それ以上上がない」頂上という場所が存在する。

そこから見える景色が全てを清算してくれるのだ。

そして山に登り終えた後の爽快感や達成感は今までの人生で体験してきた、どんな経験をも凌ぐ経験となった。

 

エントリーシート?やだ書かない!

その後、結局1年ちょっとで山岳部はやめてしまった。

もともとの動機がドラムのキック力を付けることだったのだが、山登りがメインになりバンド活動に支障をきたすようになってしまったためだ。

その後、大学の4年間はほとんどバイトとバンドに明け暮れた。
しかし大学の単位は順調に取得した。

そして大学の4年にもなると周りは就職活動を始めていた。
エントリーシートなるものを書いているという話をよく耳にするようになる。

しかしみんなが書いていると余計に書きたくなくなる自分の天邪鬼さ。

「決めた!就職しない!」

なんと、就職しないことに決めたのだ。

それも、なんとなくバンドだけで食べていこうと思う程度の考えだけで。

もちろん、親には激怒された。
特に母親は安定志向のため、就職しないなら出ていくと約束させられる。

その結果、大学卒業と同時に家を追い出されそこから一人暮らしが始まった。

 

目標がないバンド活動で大きく変わる人生

さて、夢に満ちた一人暮らしが始まったように見えたのだが、結局は目標がなくダラダラとバイトをして過ごすフリーター時代が始まった。

途中、ダーツにハマり週6でダーツバーに通うようになる。
バイト代がダーツに消えていく日々。
バンド活動にも身が入らなくなる。

徐々に気持ちがバンドから離れていく中で、1人の女性に出会う。
デパ地下で働いていた時、バウムクーヘンを売る自分と総合レジでレジ打ちする彼女。

接点は1人の女性だった。

「あなたの笑顔が素敵だと言っている人がいるよ」

会うたびにそんなことを言われ、気になっていた。
その後、どうにか連絡先を聞きつけコンタクトを取る。

そう、今の妻である。

流れで付き合うことになったが、当時の妻は僕に対して非常に冷たく、月1でしか会ってもらえなかった。
バンドマンに対して不信感があったようだ。

そしてそれがある時爆発した。

とある喫茶店で、究極の言葉を突き付けられたのだ。

「りょうくん(僕の呼び名)といても将来が見えないよ。」
「別れよう。」

そこから僕のこざかしい粘りが始まる。
別れるというのを先延ばしにさせたのだ。

「バンドは辞める!そしてFPの資格を取る!取れたら別れないでほしい!」

その当時、自分の将来を本気で案じていた僕はFP(ファイナンシャルプランナー)という資格に興味があった。

バンドを辞め、その資格を取得することを条件に付き合いを継続してもらったのだ。

こうして、僕のバンド時代は終わりを告げた。
2010年2月のことだった。

そして、2010年5月、無事にFP2級技能士検定の試験に合格。

ただ、資格だけでは役に立たないので、専門職を探し始めた。

しかし当時は景気の低迷期。
いわゆる就職氷河期の真っ最中だった。

案の定、就職活動は厳しい・・・

と思ったら・・・

受かった!

受けた2社とも受かったのだ!
何て運がいいんだ。

そして自分が選んだのが損保保険代理店の研修生として保険の営業をするというお仕事だった。

 

ノルマ地獄の保険営業マン時代

まず両親に保険のお仕事をするということを話した。
母親にいたっては「保険なんてやめときな!」などと言う始末。

このとき僕は舐めていた。
保険に対しての認識が不足していたのだ。

この業界は他の業界と比較しても過激なノルマ地獄だったのだ。
3か月ごとにガイドラインという名のノルマが存在する。

その上、世の中の人の保険に対してのアレルギー反応。

想像以上に追い詰められていく僕のメンタル。
豆腐メンタルがぐちゃぐちゃに崩れていく日々。

過酷なノルマで辞めていく同期。
当初、20人いた同期が1人減り2人減り・・・しまいにはなんと2人だけになってしまったのだ。

それでも2012年に無事に独立開業が認められた。
僕の粘り勝ちだった。

どうやら、押し売り間のない、営業っぽくない雰囲気が良かったみたいだ。
営業成績はまずまずで、営業店からの評価も高かったようだ。

 

保険営業マン時代に2つの大きな体験をする

実は、そんな過酷な営業マン時代に結婚した。
今思うと本当にチャレンジャーだなと思う。

とにかく結婚は自分の人生で最も大きな出来事の1つになった。
独立への活力になったのは言うまでもない。

入籍したのは2011年の3月3日。
しかし入籍した1週間後に、あの東日本大震災が起きたのだ。

この2つの出来事は私の人生にとって欠かせない出来事となっている。
どちらも自分の価値観を根底から覆すのに十分だった。

過去の出来事は全て今の自分の構成要素であり、どれか1つ欠けても今の自分にはなっていない。そんな価値観が育ちだした時期だった。

 

独立がゴールだと思っていた

さて話は戻り、2012年の9月に独立した後は安定した生活とは無縁の日々が待っていた。
売上は完全に歩合制になるわけで、頑張れば収入は増えるが、サボると悲惨なことになる。

そして、ある時売り上げが月に9万円になった。
お給料が9万円ではない。経費込みで9万円なのである。

当時、家賃が9万円ほどだったので、家賃すら払えない額だった。

愕然とした。

このままでは生活できない。

マズイ・・・
マズイ、マズイ・・・

不安で眠れない日が続いた。

2,3時間寝付けなくなるとか日常茶飯事だった。

しかし、考えていても収入が増えるわけではない。
しかも、代理店の手数料は年々下がり続けている傾向にあった。

もう何か新しいことを始めないと生活していけない!

日増しにそんな気持ちが強くなっていった。
そして、2013年3月に未知の世界に踏み込む決断をした。

ひょんなことから知った、インターネットビジネスと言われていた世界だ。

自分が興味を持ったのが、アフィリエイトというビジネスだった。

しかし、当時の自分は全くの無知だったので、アフィリエイト=怪しいという方程式ががっちりと完成していたのだ。

色々とリサーチするが、どれを見ても怪しい!
怪しいものが続々と出てくるので、さらに不信感に磨きがかかっていった。

ダメだ、アフィリエイトはダメだ。。

そう思い、諦めかけた時にふと1つの教材を発見した。

LUREA(ルレア)というサイトアフィリエイトの教材だった。

「名前からして怪しい・・・」「ついにラスボス的に怪しいのが出てきたわ。」

そう思って詳細ページを見てみると、やっぱり怪しい!

しかしそのページの中で制作者の3人が顔を出して対談している映像があった。
他のアフィリエイトの教材は顔を出してないものが多かった中で、それは安心感を与えるのに十分だった。

そして、あっさりとその3人に親近感を寄せた僕は、ついにそのLUREAという教材を使ってアフィリエイトの業界に踏み込んだのだった。

 

わらをも掴む気持ちで始めたアフィリエイト

当時は収入も極めてカツカツで、生活するのがやっとだった。
来月の支払いすらままならないような状態で、わらをも掴む気持ちだった。

そんな中で始めたアフィリエイトは希望に満ちていた。

本業の保険営業のお仕事でアポイントが入っていない時間は、すべてをアフィリエイトにつぎ込んでいた。

その当時、ネットビジネス業界ではアフィリエイトで成功するためにはとにかく手を動かすこと。手を止めてはいけないという精神論が語られていた。

その精神論を信じ、自分も毎日手を動かすことだけは辞めないようにしようと思っていた。
そしてそれを実行していた。

ただ、それはひどく苦痛だったのだ。

 

PCの前に座るだけで頭痛がする日々

毎日毎日、ブログを作っては商品の紹介をする記事を書く日々。
隙間時間があれば、キーワードを選んだり、商品を選んだり、記事を書いたりしていた。

毎日頑張ってるのに、なぜか結果が出ない。
作れども作れども結果が付いてこないのだ。

2週間が経ったころ、体に不調が表れ始めたのだ。

PCの前に座るだけで頭が痛くなっている自分に気づく。
最初は一時的なものだと思っていたが、それが1週間も続いた。

アフィリエイトは苦行なのか・・・本当に稼げるようになるのか?!
そんな不安に押しつぶされそうな中でもどうにか手だけは止めずに愚直にやり続けた。

1か月。

アフィリエイトを始めたのが2013年4月1日。
そして1か月後の4月30日、ついに初報酬が発生した!

楽天ポイント159

この数字は今でも忘れられない感動の数字だ。
思わず何度もガッツポーズをした。

ネットを使って、ゼロから1を生み出した瞬間だった。

しかし、159ポイントでは生活が出来ない。

どんどん収入を増やす必要があった。
満足せず高みを目指していた。

しかし、月の収入が1万円を超えるのに半年かかった。
さらにその後1年は最高でも月に3,4万円と副収入と呼ぶにはあまりに少なかった。

本業の保険代理店の収入が落ちていく現状を考えると、もっと稼がないといけないという焦りしかなかった。

 

アフィリエイトの破壊力を知る

そんな流れが変わったのが、2014年の12月だった。
とあるネットビジネスの塾に入った矢先のことだった。
運気が上向いてきたのか、初めて10万円の壁に近づいた。

そして翌2015年1月、ついに月収10万円を突破したのである。

苦節1年10か月。

ようやく光が差し込んできた。
そんな思いも束の間、アフィリエイトの恐ろしさを突き付けられる出来事を体験する。

2015年4月。
運命のメールが届いた。

「あなたのサイトに●●という商品を掲載してほしい。」

そのメールをチャンスだと捉えた僕は2つ返事でOKした。
(実際に使ってみるとなかなか良い商品だった。)

その商品が爆発的に売れ始めたのが5月、6月だった。
報酬は30万円を超え、50万円を超えていった。

特別単価という報酬価格設定により報酬は跳ね上がり、ついに7月には月収100万円を超えたのだ。

なんというすさまじい破壊力。
アフィリエイトはすごい。そう思った。
可能性も感じた。

みんなもやればいいのに、などというおこがましい考えも芽生え始めた。
その後、月収100万円を超える月が続き、翌2016年5月には最高月収255万円を達成した。

(この他にも複数のASPで報酬があり、トータル月商255万円でした。)

 

狂い始めた歯車

急激に稼げるようになった僕は大きな勘違いをしていた。

「自分の力で稼げている」

この大きな勘違いは、顕在意識ではなく潜在意識で起こっていた。
顕在意識では「常に謙虚で、感謝の気持ちを忘れないようにしなきゃ!」と思っていた。

しかし、心のどこかで「自分ってスゴイ!」「もっと認めて!」などと思っていたのだ。

少しずつ歯車が狂い始めていた。

金銭感覚も少しずつズレていき、今までの自分ではなくなっていた。
稼げることを成功として定義してしまったために起きた悲劇だった。

魂を売るのか?!

そして、その感覚のズレは加速していく。

とあるアフィエイトの塾に入り、広告を使ったアフィリエイトの方法を学んでいた時のこと。

塾のメンバーには月収1000万円を超す仲間が何人も出てきた。

そこで自分もそのやり方を研究するも、どうしても自分の信念に合わないと思った。
それでもまずはやってみるという自分の強みが悪い方に働いていく。

魂を売る。

そんな感覚に近いことをやっている感じがしてしまった。

ユーザーがどう思っても、広告主、ASPに価値を提供していればビジネスは成り立つ。

そんな正論に似た屁理屈を武器に、広告クリエイティブを作り続けた。

しかし、自分の行動とは裏腹に、売り上げは上がらず、自分の大事なものも崩れていく気がした。

そして、僕の心はボロボロになっていった。魂を売って、結局僕は僕ではなくなっていった。

2017年5月。その塾のノウハウをやめた。

 

創作活動の時間で人間の心を取り戻す

そこから抜け殻のようになっていた。

しかし心は死んでいなかった。

2017年の7月。

僕はある作品を作りYoutubeにアップし始めた。

それはピタゴラスイッチ風の装置だ。

たっつんTVというチャンネルを作り、最初はショボい作品をアップしていた。

ところが途中から本気になって、凝り始めたのだ。

 

没頭・・

没頭・・・

没頭の日々。

 

遅いと夜中の2時まで創作活動を続けていた。
撮影も午前0時を回ることが少なくなかった。

妻や子供には申し訳ないことをしたと思っている。

しかし、そんな日々が僕の心を癒していった。

創作活動、これは人間を人間たらしめる行為なのかもしれない。

そして僕は人間の心を取り戻していったのである。

たっつんTVよりピタゴラスイッチ風の装置No.16「ダークサイド オブ ハロウィン」

このような作品を作っていた。
Youtubeのおかげで動画制作の面白さにハマっていた。

が、10月の末を最後に創作活動に一旦終止符を打った。
急に制作意欲がなくなってしまったのだ。

 

全てをリセットする

なぜ制作意欲がなくなったのか。
それは「満足」してしまったからかもしれない。

そして、本業のアフィリエイトについてのある1つのモヤモヤが動きを鈍らせていた。
今の自分の仕事を子供に誇れるのかという価値観を突き付けられたからだ。

僕の師匠であるH氏は「自分の子供に誇れる仕事をする」という価値観の持ち主だった。

思い出してしまったのだ。彼の価値観を。

今の自分は子供に誇れるだろうか?
少なくとも、没頭して創作活動をしていた自分は誇れるが、それ以外はどうだろう?

そこから「自分は本当に子供に誇れる仕事をしているのか?」という自問自答を繰り返す日々が始まった。

そして、もう1人の師匠のある教えが決定的な決断を下すきっかけとなった。

人生の分岐点は自分で作る。
理想の未来を手に入れるには、過去の執着を手放すことによって理想の未来の臨場感を高める必要がある。

衝撃的だった。

過去に執着していることにようやく気が付いた。
その執着こそが現状維持のくだらない未来の臨場感を高めていたのだった。

そして、僕は決断した。
稼げているサイトも含めて、すべてのサイトを削除(一部を無償譲渡)することを。

2017年12月2日のことだった。

すると、12月6日にはGoogleが大幅なアップデートを施行したのだ。
健康・医療系がメインターゲットだった今回のアップデートで僕が作ったサイトも大きな影響を受けていた。

しかし、すでに決断していた自分の精神的なダメージはゼロだった。
むしろ、背中を押されているとすら感じ好意的に受け止められたのだ。

そして、2017年12月31日、ついにすべてのサイトの削除を完了した。

全てをゼロに戻す。

そして本当に子供に誇れる仕事をするために、このPAPA SUNというメディアを立ち上げた。

全ては僕の志を遂げるために。

「全ての人々が支えあい、生きていることに感謝し、あるべき姿で人生を全うする社会を創造すること」

この志を胸に、1人でも多くの人に本来の自分のあるべき姿を取り戻してもらいたいと思い記事を書いている。

全ての人が心の底からやりたいことに気づき、志を持って生きていける社会を作りたいと思っている。

そんな自分の活動は始まったばかりである。

その活動のために志体術アドバイザーの資格を取得。

体術を通して「志」を持つことの素晴らしさ・大切さを広めていく活動をしていく予定。

実際に志体術の体験会を開催(2018年2月11日)。
参加者より「志と夢の違いが分かった」「身体を使うので納得感が違う」などのお声を頂いた。

志体術の体験会の様子

そして2018年3月22日次のステップである志体術インストラクターの資格も取得!
認定証を理事長から直々に授与される。

左が僕です。右は安西理事長。

日本人として忘れていた「志」を持って毎日を迷いなく生きませんか?

人生の目的となる「志」を立てて100%ブレない人生を手に入れる
あなたは今の人生に満足していますか?
仕事のやりがいやライフワークを持っていますか?

もし「YES」と思えないならそれは「志」がないからかもしれません。

志という人生の指針を得て、あなたの人生をより輝かせましょう。

志を立ててより良い人生を歩みたい方はこちらをご覧ください。

>>『たっつん式ピタゴラ志事術』の詳細はコチラから

 

 

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