「人生に正解はない」は間違いかも!正しい生き方の答えがある?
私にも人生の正解を探し求めていた時期がありました。
正しい生き方とは何なのか、考えました。
答えを探しました。
高額な勉強会でお金を払ったり、セミナーを聞きに行ったりもしました。
しかし、どうしても人生の正解にはたどり着きませんでした。
あの時までは。
お好きな所から読めます
人生に正解はない?
そもそも人生の正解なんてない!という人がいます。
これは世間一般的に言われていることです。
もはやステレオタイプと言ってもいいでしょう。
でも果たしてそれは本当なのでしょうか?
「人生に正解はない」が絶対正しいのでしょうか?
私も今までずっと「人生に正解なんてない」と思って生きていました。
しかしある時、正解があることに気づいたんです。
同時に正解がないことにも気づきました。
あってないようなもの。禅で言うところの空です。
そんなことに気付いたのです。
それは、私のメンターの1人(勝手にメンターだと思ってます。)レノンリー氏との出会いがきっかけでした。
彼は酔拳の世界チャンピオンになったこともある武術の達人です。
彼の幅広い知識と深い洞察力、思考力、分析力とコミュニケーション能力には圧倒されました。
知識は武学(帝王学)から古神道、量子力学、禅、宗教、経済など幅広い分野に及びます。
そんな彼に出会い、彼から学ぶうちに人生に正解はあるのかもしれないと考えるに至りました。
人間は何のために生まれてくるのか。
その問いが人生の正解を導くきっかけとなる。
そう確信しました。
それは、自分の内側の世界の話になります。
つまり、人生の正解は自分の内側に存在するのです。
人生の正解を外の世界に求めてしまう理由
しかし、多くの人は自分の外側に人生の正解を探し出そうとします。
正しい生き方のテンプレートを探しているのです。
例えば、あなたが1枚の紙を渡されて、今の気持ちを絵に書いてみて下さい!と言われたらどうですか?
すぐに描けますか?
どことなく答えを探しちゃいませんか?
これは教育システムの欠陥とも言えるでしょう。
私たちは小学校、中学校、高校と教育を受ける中で、正解を押し付けられてきました。
そしてことあるごとにテストで正解、不正解を突き付けられますね。
そういった中で、「答えを探す思考」が染みついてしまっているのです。
その結果、人生の正解があるのではないかと、外の世界を探し回ってしまうのです。
もし世の中に人生の正解があったら
では、もし世の中に人生の正解があったらどうでしょうか?
「はい!これが人生の正解ですよー!」
「おぉ、これが人生の正解かー、なるほどー!よっしゃーこの通り生きよう!」
なんか気持ち悪いですよね。
もしそんなことが起きたら、(抽象度にもよりますが)人間の多様性なんてあっと言う間になくなって、あっと言う間に滅びるでしょう。
人はみな違うから生き残っている訳です。
なので外の世界に生き方の答えを探すのは今日でやめましょう。
正しい生き方とは?その答えは
記事の前半で人生の正解はあなたの内側にあるとお伝えしました。
ではどういうことかを少し解説しますね。
今がすべて。過去も未来もない
あなたは過去にあった辛い出来事を引きずってしまうことはありませんか?
悲しかった出来事で過去を悔やんだことはありませんか?
また、未来を憂いてしまうことはありませんか?
未来が不安で不安で仕方ないということはありませんか?
このように、過去や未来という幻想を作り出すのが人間です。
しかし、実際に私たちが生きられるのは「今」だけです。
まずはその事実をしっかりと受け止めます。
過去に嫌なことがあって辛い思いをしている・・・のも今です。
未来を不安に思っている・・・のも今ですよね?
今しかないんです。
つまり、今この瞬間が人生なわけです。
そしてこの瞬間に人生の本当の目的が明確になっていて、そのために100%本気で生きていること。
そして覚悟を持って選択を積み重ねていく。
これが人生の正解だと思う訳です。
正しい生き方があるとすれば
では具体的にはどういう生き方をすれば良いのでしょうか?
正しい生き方なんていうものが仮にあるとすれば、自分の生まれてきた意味をちゃんと思い出してそのために生きることです。
私たちは、親を選んで生まれてきています。
そして生まれた時には生きる意味を明確に持っています。
しかし、時間が経つにつれ忘れていってしまいます。(中にはずっと覚えている人もいます。)
それを思い出すわけです。
生まれてきた意味とは、使命や天命などです。
天から与えられたお役目に従って生きるということです。
そのためにまずは「志」を立てて、その志を果たすために生きるということです。
夢じゃないですよ。志です。
夢は自分の欲望を満たすためのもの。
志は世のため人のために貢献することです。
とにかく志をまずは立ててみるのが重要です。
今までの人生で嬉しかった瞬間、悲しかった瞬間など心が揺れ動いたときにそのヒントがあります。
なぜ心が揺れ動いたのか。その体験はあなたに何を教えてくれようとしてたのでしょうか?
あなたの心の指し示す方向、心が指す方向が志です。
(志の立て方が分からなければ、直接ご連絡ください。)
人間として生まれ、生きる意味を明確に思い出し、そこに向かって進む。
過去は関係ありません。
今が人生だからです。
なので、もし今までの人生は不正解だったと感じたとしても、今、自分の人生は正解だと思えれば、それが全てなのです。
まとめ
いかがでしたか?
人生の正解を探してしまう人の気持ちは分かります。
本当によく分かります。
自分がそうだったからです。
人生の正解を外側ではなく内側に探しに行った時に初めてブレイクスルーしました。
生きている意味が明確になっていくにつれ、人生の迷いもなくなってきました。
もし、あなたが今人生に迷っているならこちらの記事もお役に立てると思いますので読んでみて下さい。。
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私も同感です。人生には正解も不正解もないと思います。
要は自分自身が居心地がいいと思う状態に身を置ければそれだけで幸せな事だと考えています。
ただ、人は一人で生きている訳ではないので、それがなかなか難しい事なのですが・・。
きっとこれは感覚的なもので、何となくお互い無理していると思った時は何らかの理由を付けてそっと距離を置くのが良いかも。
そしてタイミングを見計らって別れるのがベストだと思います。
私はよっぽどの事がない限りは人付き合いというのは期間限定でちょうど良いと考えています。
極端な事を言えば、他人とは出来るだけ関わりを持たずに過ごしたいです。仲良くなればなるほど別れが辛くなるという事も経験済みです。
もちろん、人生においては人付き合いは避けて通れませんし、他人と付き合う事で視野が広がる事も事実。
ただし、同時にどうしても譲れない問題が出て来たときは亀裂が生じます。それは覚悟の上で他人と関わらなければなりません。
結局、最終的には独りになる訳だから、早めに独りに慣れておく事は悪い事ではないと思います。
顔色を伺いながら人脈を広げても、結局自分が疲れるだけ。
人脈が広い事が素晴らしい人間という訳ではないし、他人から良い評価を得るために生きている訳ではないはずです。
もちろん、恨みつらみばかりの人生では苦しいだけですけど。
他人から良い評価を受ける事も、他人によって迷惑をこうむる事も、周りの人間を気にし過ぎているあまり感じる事。
そういう事を考えると、人間というのはつくづく狭い世界で生きているという事を実感せざるを得ません。
もっと他人に対していい加減で良いと思う。
多くの人が行っている事が必ずしも正しい行為であるとは限りません。それが自分の良心に反する事であれば、勇気を持って孤独になりましょう。
そうする事によって、真の自由を手に入れられる。そう思います。
最後に一言。少々矛盾している表現になりますが、私は自由というのは不自由の中にあると考えています。
コメントありがとうございます。
そうですね。人生に1つの正解を求めること、これが本当の正解を観えなくさせている感じがします。
本当の正解とは、その人が選ぶ選択肢は全て正しくて、それを肯定することが最高の人生であるということです。
そういう価値観で生きていく人が増えたら、世の中がより良くなるのではないかなと感じています。
出会いと別れについても、同様ですね。
人付き合いに正解なんてないし、後からいくらでも意味づけを変えられる。
だからその瞬間瞬間を最高に楽しめば良いと思います。
お互いに無理せず自然体で付き合うことが出来れば、結果的に長く付き合うことも可能だと思います。
そこに思考が介入して不自然になれば、おのずと滅んでいくものだと感じます。
素晴らしいコメントをありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。