普通の人・普通の生き方って何?普通の人になりたいなら!
あなたは「普通」=「平凡」という思い込みがありませんか?
僕は小さい頃からずっと平凡な生き方をしてきました。
良くも悪くも浮き沈みのない横ばいな人生。
しかし20代になりあまりに平凡すぎる人生を歩んでいることをコンプレックスに思い始めました。
それからは「普通の(平凡な)人間にはならないように生きよう」と思って生きてきました。
詳しくはプロフィールをご覧いただきたいのですが、大学卒業後にはあえて就職せずフリーターの道を歩み始めます。
でも冷静に考えてみると「普通」って何なのでしょうか?
普通の人間になって普通に生きるのは悪いのでしょうか?
そもそも「普通に生きる」ってどういうことなのでしょうか?
なんなら最近の若い子たちは「普通に美味しい!」なんて言うじゃないですか。
普通ってなんなん??!!分からん!!
そんなちょっと前の自分のような人のために、この記事で詳しく説明します。
記事の後半で「普通」を再定義してパラダイムシフトを試みたいと思います。
お好きな所から読めます
辞書で言う「普通」とは
とはとは検索ならWikipedia(ウィキペディア)先生のお出ましですよね。
実際に調べてみると次のように出てきます。
ほうほう、なるほど・・・そうゆうことか。
…ってよく分からん!!
(広く通用する状態って何やねん。)
おっと心の声が出てしまった・・・
要するに、多数派ってことですかね。
でもそうなるとこれはどうやって説明する?
関西の人にとって関西弁は普通だけど、東北弁は普通じゃない。
要するに場所によって変わるものだってこと。
ではこれはどうでしょうか?
20代の人にとって会社に所属しないで働くのは普通、会社に所属して働くのは普通じゃない。
ちょっと盛りましたけど、でも、だんだんこんな流れになってきてませんか?
これって「普通」っていうのは時代によっても変わるってことですよね?
要するに「普通」の定義は場所や時代などの要素によって変わるということです。
変化するっていうことは、本質じゃないような気がしますよね。
変化しない定義が必要ですよね。
この本質の部分は記事の後半で解説しますね。
日常にあふれる「普通」の乱用
さて、普通という言葉がよく使われる次のようなシチュエーションを想像してください。
高校3年生ぐらいの息子が親に進路について相談しています。
「俺、大学行かないでお笑い芸人になりたい!」
すると親が次のようなことを言い出します。
「普通に大学行って、普通に就職して普通の生き方をしなさい」
高校生の息子は納得のいかない表情をしています・・・。
そしてこんな疑問を抱きます。
『普通に生きるの「普通」ってなんやねん?!』
ここからは「普通に生きる」の「普通」について詳しく解説してみます。
普通の生き方の普通とは?
あなたは普通に生きていますか?
「はい!」と答えたあなたも、「いいえ!」と答えたあなたも、そもそも普通って何なのでしょうか?
一般的な、平均的な、標準的な、平凡な生き方ですか?
でも、色々な人がいますよね。
性別や住んでいる地域、ベースとなる思想・思考、やっている仕事、国籍だって違います。
普通にって、これ日本の中だけで言ってます?
・・・ツッコミどころが満載ですね。
平均値なんて取れっこないし、表面だけみて「普通」っていうのやめませんか?
(個人的に、巷で使われている「普通」という言葉は大衆をコントロールするために誰かに意図的に使われている気がしてなりません。それが誰かは知りませんが。)
ではここから普通の生き方というのを再定義していきます。
日本語の誤りと指摘される「普通に美味しい」にヒントがある?
「普通に生きる」を再定義していく時に、最近の若者がよく使う「普通に美味しい」という言葉にヒントがありました。
普通に美味しいということは「美味しい=普通」だと考えられます。
ということは「美味しくない=普通じゃない」ということになります。
つまりベースとなる基準が「美味しいことが当たり前」になるわけです。
このように見方によっては180度違いますよね?
「元気」と「病気」から見えてくる普通の本質
また例えば、病気になった時のことを考えてみましょう。
「病気=普通じゃない」「健康=普通」だと考えられます。
健康で元気な状態が普通なのです。
元気って「元」の「気」って書くじゃないですか?
元の気の状態が健康で普通の状態なんです。
普通じゃない状態(病気)から普通の状態(元気)に戻るだけなんです。
そう考えると、「普通」=「良いこと」だと思えてきませんか?
普通に生きるとは良い人生を生きることだと言えます。
でもまだまだ本質的ではないですね。
本質に迫るために、普通に生きるというのを次のように定義してみます。
『普通の人として生きる』
こうすると本質に迫りやすくなります。
でも、よく言われる普通の人って平凡か、下手をするとマイナスイメージがありませんか?
普通の人とは?
「結婚するなら普通の人がいいよね。」
このような使い方を聞いたことがありませんか?
この場合の普通の人ってどんな人なのでしょうか?
例えば・・・
こんな感じですかね?
普通っぽいですね。一見。
僕が勝手に考えました。
でもこんな人見つけて来いって言われたら、案外いなくないですか?
というか、醤油顔で中の中ってなんやねんって話じゃないですか。
それとは別にもしあなたがこんな風に言われたらどう感じますか?
「あなたって普通ね」
こう言われて嬉しいですか?
これはもはやマイナスイメージの方が強くないですか?
ここでは面白くないとか色がないという意味で使われていますから、ちょっと切ない感情になる人の方が多いのではないでしょうか。
だから、このような「普通」の使い方はここではしません。
ズバリ本質に迫る!普通の人とは?
ここで再定義する普通の人とは本来あるべき姿を取り戻した人です。
では本来あるべき姿とは何でしょうか?
それは「しっかりと生まれてきた意味や目的を自覚し、その目的達成のために生きている状態」です。
この状態が普通なんです。
でも実際に「自分の生きる意味や目的を自覚して生きている」人はどの程度います?
あなたは自分が生まれてきた意味をしっかりと理解して、生きる目的を定めて生きていますか?
もしできているのであれば、あなたも普通の人です。
(それがいわゆる「普通じゃない人」であっても。)
しかし出来ていないならちょっと考える必要があります。
普通の人になるために。
普通の生き方で生きるために
普通の人で生きるのが普通の生き方なのに、多くの人は普通の生き方ができていません。
目的もなく生きている人がほとんどです。
それが普通だとさえ思われています。
人生には迷うものであって、それが当たり前で普通だと思われています。
実際に僕も同様に「自分が何のために生きているのか?」悩んで生きてきました。
その期間およそ3年あまり。
結局、志体術という学びに出会って、自分の生きる意味や人生の目的が明確になりようやく普通の人に近づけました。
そもそも普通の人の基準がおかしかったんです。
普通の人とは人生の目的を明確にして、その目的を果たすために生きている人のことです。
そして人生の目的を達成するために生きることを「普通の生き方」と再定義しましょう。
普通の人は最強です。
迷いません。ブレません。
しかし人生で迷っている人は多くいます。
それは普通の基準の設定が間違っているからです。
生きる意味を明確にせずに、生きることがどうして普通なのでしょうか?
冷静に考えてみて下さい。
目的地を設定しないで旅行に出かけますか?
例えばあなたが北海道に旅行をすることに決めたとしましょう。
日程を決め、旅館も取りました。
さあ、いよいよ旅行当日。
いざ家を出る時に「はてさて、どこに向かおうか?」となりますか?
あなたは北海道旅行の当日に目的地を設定せずに出かけますか?
設定しますよね?それが普通です。
それは僕たちの人生も同じではないでしょうか?
本来はあらかじめ「生きる目的」が設定されていたんですね。
しかし僕たちはそれを忘れてしまったのです。
思い出さないといけないのです。
思い出した状態が普通の状態です。
そして人生の目的をしっかりと設定してそこに向かって生きている状態が「普通の生き方」なのです。
まとめ
いかがでしたか?
ここではなかなか常識破りな「普通」の再定義をしました。
いわば普通が最強である、という前提で話を進めると色々な悩みが解決します。
普通はつまらないという前提とだいぶ違ってくるでしょう。
見方よっては180度違うように感じられるはずです。
しかし、多くの人は「普通」=「平凡で平均的」と考えています。
これは一種の思い込みだと思うのです。
今日から一気に普通の基準をシフトして、あなたらしく普通の生き方をしてみませんか?
ただもし仮に、今はまだ普通の生き方が出来てないなと感じる方は、こちらの記事も読んでみて下さい。
↓
まだ、お若いのですね。
私は50を過ぎたおばちゃんです。
生きる意義について、中学生の頃からずっと考えてきました。自分の答えはまだありません。、、が意義を考え続けることこそ、生きると言うことなのかな?と感じております。
高齢の実母が ただただ死にたくないと生きる事への関心より、死ぬことへの恐怖のために生きていることを望んでいることがわかり ショックでした。
ですが、周りの人に聞いても 死ぬことを考えたくないから生きる術を探しているという人が多いことに これまたショックをうけました。
人生を旅に例えて 目的地なしには旅はあり得ないという主張に 私は凄く共感しました。
、、、が現実的には いかに生きるか?より、死にたくないから生きるという動物の本能が先にあり、、、どうせ生きるならと楽しく楽に生きる方法を探している人が多いような気がします。
生まれてきた意義を 単なる生物という観点から見れば 単に種族を残すためと考えれば 確かにいかに生きるかるなどは大した意味はないのもうなずけるので、人間だからと他の生物とは違うものと思うのは無意味なのかもしれない、、と思う今日この頃。
でも、私は生きる意義について追求する貴殿の意見に嬉しく思いましたので、コメントしてみました。
生きる意義を探すおばさん様
コメントありがとうございます。
生きる意義について、中学の頃からお考えだったのですね?!
自分は、大学の時にみんながこぞってエントリーシートを書いてるのを見て、「違和感」を感じてから「何のために?」という探求が始まりました。
そして、2011年3月11日の東日本大震災を転機としてじわじわ「何のために生きるのか?」という人生の探求が始まりました。
死にたくないから生きる。
言葉だけを捉えると何か後ろ向きのエネルギーを感じてしまいますが、おそらく無意識のうちに「まだ死ねない」というメッセージを感じてるのではないでしょうか?
僕たちは、生まれてくる時点で必ず「目的」を持って生まれてきています。
その目的に氣付ける人と氣付けない人がいますが、人は誰しも無意識のうちに目的(方向性)は感じているような氣がします。
だから、死にたくないって思うのかもしれません。
確かに死ぬことは「怖い」と思うのも分かります。
ですが、それは目的を達せずに死ぬことへの恐怖かもしれません。
おそらくほとんどの人が「死ぬ=終わり」って捉えてると思いますが、僕はちょっと違った感覚です。
輪廻転生じゃないですが、魂としては永遠のサイクルがあり、ある目的を見つけた時だけ「身体」という「器」を見つけてその目的を果たしに現世にやってくる。
そして目的を達成しても達成しなくても、時間がきたら人生を終えて次にうつる。
ただそのサイクルの中にいるのかなと感じます。
となれば、はやくその目的を見つけて最大限にその目的を達成するために行動した方が、死ぬ瞬間に「楽しかった〜〜〜」って思えるのかな、なんて感じてます!
お返事になってるか分かりませんが。笑
今後ともよろしくお願いします!